北国人 †
概要†
カテゴリー | 種族 |
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スペル | Northmen |
その他の呼び名 |
解説†
リョヴァニオンの騎馬民族。北方の自由の民の一派で、闇の森と早瀬川の間の大平原に大きく強力な連合体を作って暮らしていた。東入地は彼らの伐採によって広がった土地である。『終わらざりし物語』の「キリオンとエオル」によると、彼らはハドルの族に近い血縁の者たちと思われ、そのためドゥーネダインとは親縁であった。*1
ゴンドール21代目の王となるエルダカールの母ヴィドゥマヴィの出身民族でもある。
ヴィドゥガヴィア、ヴィドゥマヴィ、マルハリ、マルフウィニ、フォルスウィニといった北国人の人名はゴート語(Wikipedia:ゴート語)に沿って表記されている。
ゴンドールの同盟者†
第三紀のはじめ、かれらはゴンドールの同盟者として、東夷の侵入を阻む防壁の役割を果たしていたが、常にゴンドールに対して誠実であったわけではなく、中には略奪や諸侯間の争いのために東夷と結ぶ者達もいた。
当時諸侯の中で最も力があったのがヴィドゥガヴィアであり、彼はリョヴァニオンの王を自称していた。ゴンドールの摂政ミナルカール(後のローメンダキル二世)は北国人との連携を強化するため、息子のヴァラカールを大使として派遣し、北国人の習俗を学ばせた。しかし父の想定以上に北国人を愛するようになったヴァラカールは、ヴィドゥガヴィアの娘ヴィドゥマヴィと結婚するに至る。やがてヴァラカールの死後の1432年、その子エルダカールの王位継承の正統性を巡って、ゴンドールで内戦(同族の争い)が勃発する。その結果、エルダカールは簒奪者カスタミルに地位を追われるが、北国人の許に身を寄せて抵抗し、1447年に彼はドゥーネダインと北国人の支持を得て復位に成功した。
以来、エルダカールの血脈は北国人の中で中心的な意味を持つようになる(リョヴァニオン王家)。
衰退と分散†
だが、1636年の悪疫の大流行と、続く馬車族の侵入によってその勢力は大きく減退する。
悪疫はリョヴァニオンの民と馬の半数以上を奪い、復興は遅々としたものだった。1851年より馬車族の侵略がはじまり、1856年にナルマキル二世に率いられたゴンドールと北国人の軍勢は大敗を喫してリョヴァニオンの大部分が馬車族の支配下に落ちる。ヴィドゥガヴィアの直系の子孫マルハリはこの戦いで戦死したが、後衛を務めた彼とその騎馬軍団の働きのために、ゴンドール軍は潰滅を免れた。
多くの北国人は馬車族の奴隷となったが、マルハリの息子マルフウィニの許に逃げ延びてアンドゥインの谷間に撤退する者達もいた。1899年にカリメヘタールが馬車族を破った戦いでは、マルフウィニとその民が援軍として馬車族の軍を駆逐する一方で、奴隷となっていた北国人が呼応して蜂起し、馬車族の野営地を焼き払った。*2
しかし北国人の被害も甚大であり、馬車族の脅威が去った後もかれらは故郷へ戻ることはなくアンドゥインの谷間に移住、エーオセーオドの祖先となる。また谷間の国の人間とも近縁であったことから、そちらに合流した者たちや、ゴンドールへ逃げた者たちもいた。
Iron Crown Enterprisesによる設定†
自らをエオスライム(Eothraim)と自称している。諸侯はフイティン(Huityn)、各氏族の首長はセグナ(Thegna)と呼ばれる。
サウロンが敗れ、モルドールの脅威が去った第三紀の最初期に、エリアドールから霧ふり山脈を越えてリョヴァニオンに移住してきた民が起源。アンドゥインの谷間に移住するまでは六つの諸侯によって分割統治されていた。
六部族†
- アイルガルサ(The Ailgarthas)
- 北国人の最も古い氏族。北端のケルドゥイン周辺から東端のリューンの山地にかけての土地に住む。最も西に住む者たちは闇の森の縁に暮らしていた。十の家系からなり、千人の戦士を有していた。最も偉大な指導者は1600年頃に統治したスイダリック(Thuidarik)とその息子のスイディメル(Thuidimer)。スイディメルはゴンドールの騎兵隊長を務め、その軍事力を背景に部族を統治した。
- パダルイク(The Padaruiks)
- リョヴァニオンの南東部に住む氏族。四つの家系からなる最も小さい部族で、弓術や槍の投擲に優れる350人の戦士を有する。彼らの土地は東のガソド(Gathod)やヌラド(Nurad)と国境を接しており、東夷のアスドリアグの侵入に晒されていた。そのため、首長のアサウルフ(Athaulf)は1630年頃、娘のヘルメネギルド(Hermenegild)をスイディメルに嫁がせてアイルガルサと同盟を結び、協力して東夷に当たるとともに土地の放牧権を割譲した。
- ガドラウート(The Gadraughts)
- リョヴァニオン中東部の平原を治める部族。七つの大きな家系と八百人以上の兵力を有する非常に大きな勢力。北国人の中で最も規模が大きく、多くの者がゴンドール軍に兵籍を置いている。これは彼らの領地が、ゴンドールの州であるドル=リューネンから容易に往来できる土地で、商人や徴募人が盛んに訪れていたことも要因となっている。他の部族よりも富裕だが、馬の品質には強くこだわっており、大きく頑丈な馬を育ててゴンドールへ輸出している。彼らの主催する夏至の日の祭りには、リョヴァニオン各地から部族が集まる。中でも悪疫が終わった1638年の祭りは、首長のアルイリック主宰の下、最も盛大な宴が催された。
- ベオリール(The Beorills)
- エオスライムの領域の中核地域である、闇の森南西部の縁に接した土地に住む。七つの家系と750人以上の戦士を有する。最も優れた弓の射手で、三年毎に儀式として森の中で熊狩りを行っていた。熊の爪で作った装飾品を好んで身に着けている。戦いの際は牛の如き勇猛さを発揮することで知られ、馬の司と称される民の中では異色の存在だった。故に北国人間の抗争でも、彼らにあえて挑もうとする者は少なかった。1639年、首長のウルフィア(Wulfia)の息子ルボギルド(Lubogild)は狩りの最中にドル・グルドゥルの東方でオークと戦闘になり、死人占い師の呪いを受けた。
- アンサール(The Anthars)
- 五つの家系からなり、平原の最西端の地域に住む氏族。その土地は狭く、最も南の地点からでも馬で数日程で横切ることができた。闇の森の南の縁とエミュン・ムイルに挟まれた地帯に居住地が集中しているが、モルドールとドル・グルドゥルを行き来するオークが頻繁に領内を通行するため、集落を捨てて茶色の国に野営する場合も多い。また、ゴンドールと東方を結ぶ幹線も通っているため、多くの者が交易を行ったり、イシリエンやカレナルゾンの太守に傭兵として仕えていた。アンサール独自の文化として、戦いで勇猛さを示した者だけが鬚を長く伸ばすことが許されており、それ以外の者は口髭を除いて全てを剃り落としていた。1630年、フイティンのギスラフ(Gisluf)は討ち死にした仲間全員分の報酬を受け取り、リョヴァニオンで最も富裕な諸侯となった。
- エオアダール(The EoadarsThe Eoadars)
- ダゴルラドとエレド・リスイに接した平原に住む氏族。その数は最も少なく、豊かでもなかったが、同時に最も優れた馬の乗り手だった。五つの家系の有する兵力も300名程しかいなかったが、風の如く軽快に草原を駆けることができた。そのため、他の氏族の若者がエオアダールの住む土地を訪ねて、その卓越した技術を学ぶことも珍しくなかった。1619年頃に生まれたフイティンのワッコー(Waccho)は、ゴンドールの競技祭で二度優勝し、さらに北国人の競馬大会で三度優勝した。この活躍によって、彼は北国人の最も秀でた騎手として名をはせた。
イブノティシウダ(Ibnathiuda)†
ロガシグ語で平原の民(Plainsfolk)を意味する。最後の同盟の戦いの際に、エレンディルに付き従い、その後ダゴルラドの東方に入植したエリアドールの人間の子孫だが、東夷やゴンドール人、リューンの湖の原住民ドナスなどとの混血が進んだ。戦川(Warwater)とその支流フィスクスタイガ( Fiskstaiga) の交差するカリン・アングル(the Cairn Angle)と呼ばれる地域に居住し、農耕や漁業を営んでいた。要塞化されたビュハル・アルメンリク(Burh Armenrik)の町がその中心地だった。
他の北国人よりも国際的で多様性を重んじる気質の民で、しばしばリューンの諸民族や西方諸国の橋渡し役を担った。異なる文化との共存を信条とし、地域で起こる紛争では調停役や外交の任務も果たした。信仰についても同様で、ヴァラール信仰や北国人の自然崇拝、東夷の英雄など異なる宗教が混在していた。
一方で、祭りや祝い事を熱狂的に愛する面があり、時には複数の民族の祭りを同じ日に催し、歌や踊りに興じることもあった。例えば、ドナスの人々が生贄を捧げる儀式を行う一方で、北国人は同じ四日間を使って木々の紅葉を祝った。
近隣で絶えず民族間の争いが続く中で、敵対する者同士の共存できる場所を築き、守り続けることがイブノティシウダの誇りであった。カリン・アングルの守りは1000年以上続いたが、その間にサウロンの密使たちの暗躍によって民族間の溝は更に深まり、分断されていった。そして1851年、東夷の連合軍イガス(Igath)はゴンドールへ進軍する途上にあるイブノティシウダの土地を荒廃させ、町を徹底的に破壊した。多くの者が抵抗して殺され、残った者たちは北国人の他の部族と共にアンドゥインの谷間に落ち延び、二度と戻らなかった。
コメント†
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