リューン†
概要†
カテゴリー | 地名 |
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スペル | Rhûn |
その他の呼び名 | 東方(East) |
解説†
シンダリンで「東(east)」の意。中つ国の東方を大まかに指す言葉で、特にリューンの湖とエレド・リスイ(灰の山脈)より東の地域を指す。この土地に住む人間が東夷である。
諸勢力†
地名†
- オロカルニ(赤の山脈)
歴史†
星々の時代にエルフ族が目覚めたクイヴィエーネンの湖は、中つ国の東の奥地にあるオロカルニ山脈の麓にあった。だが後の時代に地形が変わり、クイヴィエーネンはもはや存在していないという。
太陽の第一紀に人間族が目覚めたヒルドーリエンも中つ国の東の奥地にあり、人間はそこから各地に散らばっていった。
第二紀になると怒りの戦いを逃れた邪悪な東夷が東方に帰還してきて、モルゴスの虚言を用いて多くの人間たちの上に君臨するようになる。さらに指輪王となったサウロンは、中つ国の東や南に勢力を広げた。
このため、リューンはサウロンの影響が色濃い地域となる。第二紀末に最後の同盟に敗れたサウロンの霊は、東方の荒野に逃れて隠れ潜み、復活のための力を蓄えた。
青の魔法使いたちは中つ国の東方に赴いたが、戻ってくることがなかったという。
第三紀になると、リューンの東夷はゴンドールとしばしば衝突し、リューンの境界付近が戦闘の舞台となることもあった。
500年にはゴンドールのタロスタールが東夷を破り、「東の勝者」を意味するローメンダキルを名乗る。彼は新手の東夷に殺されたが、その息子トゥランバールは父の仇を討って東方に領土を獲得。ゴンドールの東の国境はリューンの湖に至るまで拡大する。
その後も東夷はゴンドールと紛争を繰り返したが、1248年にミナルカールはリョヴァニオンとリューンの湖の間で東夷の大軍を打ち破り、湖の東岸にあった東夷の野営地や居住地を破壊。ローメンダキル二世王となった。
1636年にはリューンから悪疫が中つ国西方に向かって広がる。これは自由の民に甚大な被害をもたらしたが、東夷が受けた被害も大きく、以後馬車族が現われるまでゴンドールを悩ますことがなくなった。
1851年から1944年までの馬車族の侵攻によってゴンドールは東の領土を失い、リューンは再び西方諸国にとって遠い世界となった。だが執政家のヴォロンディル(1919-2029)は、リューンの野でアラウの白い牛を狩り、その角からゴンドールの角笛が作られた。
2951年にサウロンがモルドールで復活を宣言すると、リューンは再びその属国として軍勢を供給するようになった。
3007年にはリョヴァニオンの東の境で勢力を広げた谷間の国のブランド王が東夷と衝突。3018年から3019年の指輪戦争で、東夷は谷間の国と山の下の王国を襲うとともに(谷間の国の合戦)、ゴンドールとの戦いに軍勢を派遣した。
第四紀になると、リューンの国々と西方諸国の間で講和が成立したようである。
画像†
Iron Crown Enterprisesによる設定†
ICE設定においてリューンという名称は主にモルドールの北部、リューンの湖よりも東の地域一帯に対して用いられ、それよりも東の地域には用いられていない。その代わり、ヒルドーリエンやクイヴィエーネンを含めた、オロカルニの西側までの地域は大まかに東方の平原(East Plain)や牧草地(Glasslands)、高原(Plateau)等の名称が使われ、オロカルニよりも東側の地域は極東(Farthest East)や東岸(Eastern Coasts)という。
『Middle-Earth Adventure Guidebook』『Lords of Middle Earth Vol1~3』など、主にソースブックを中心に、リューンに存在する勢力について記されている。
諸勢力†
- 東夷
- サウロンの密使
- ケルカッスクの教団
地名†
- ドル・リューネン
- ケルドゥイン
- ドルイニオン
- ビュルフ・マフルリング(Burh Mahrling)
- イラニン(Ilanin)
- シュレル・ケイン(Shrel Kain)
- リアヴォド(Riavod)
- スカン(Scan)
- ピンノン・リューン(Pinnon Rhûn)
- ウルドナ川(Uldona)
- エオルスタン(Eorstan)
- タウル・ローメン(Taur Romen)
- リューバール(Rhûbar)
- クグ川(Kug)
- エルガール(Elgaer)
- ロガサヴルド(Logathavuld)
- サドバール(Sadbar)
- サガサヴルド(Sagathavuld)
- 戦川(Warwater)
- ガソド(Gathod)
- スルベキ川(Sûrûbeki)
- ウルガサヴルド(Urgathavuld)
リューンの湖より東の土地†
- 中央平原
- ヌラド(Nûrad)
- チェイ=サルト(Chey-Sart)
- ウルク・チェイ=サルト
- カルガリス・アハール
- エレド・ハルマル(Ered Harmal)
- タラスラント(Talathrant)
- オロカルニ(Orocarni)
- 極東
- ウォマワス・ドラス(Womawas Drus)
- アエガン(Aegan)
- エレド・グワエン(Ered Gwaen,風の山脈)
- ルーリーク(Ruuliik)
- 岩礁の国(Shelflands)
- ロカス=ドラス(Lochas Drus)
- ウォール(Wol)
- ワウ(Waw)
- キモニエノール(Cimonienor)
リューンの湖より東の諸勢力†
- ウォール(Wôl)
- 岩礁の地にある国々の一つ。この地の住民ウォーリム(Wolim)はドルーエダインと共通の祖先を持つ好戦的な人々で、ロカス=ドラスの最大のライバルでもある。第二紀2000年頃、ワウ(Waw)の王となったドワルの下で大規模な艦隊を組織して周辺諸国へ侵攻を開始、沿岸の土地の多くを征服し、岩礁の地の覇権を握った。
- ウォマワス・ドラス(Wômawas Drûs)
- 記述されてる東方の国々の中で最大規模の勢力。その影響力は西方におけるドゥーネダインに匹敵する。当該項目参照
- カルガリス・アハール(Kargaris Ahar)
- 大河タラスラントを挟んでチェイの東側に位置する国。この地に住む遊牧民アハール人は争いを好まない平和的な民で、長らく統一された国を持たずに暮らしてきた。そのため、チェイやハンドといった周辺の国々の侵略の標的とされ、しばしば臣従を強いられてきた。だが第三紀1650年頃、セイ家の長パルネリオン(Parnelion)がチェイの支配に対して抵抗運動を始めた。その過程でパルネリオンはアハールの全部族を統合し、史上初の統一国家を樹立。チェイ軍を追い払い、反対にチェイ領への侵入を果たすなど、一躍リューンの強国として台頭した。
- シェイ(Shay)
- ロカス・ドラスの風の山脈を挟んだ西側にある国。比較的文明化の進んだ地域で、ハムールの母クレーア(Klêa)の出身地。第二紀3262年~3319年までの間、モルドールから派遣されたハムールが現れて、シェイに住む五つの部族の連合を崩壊させ、互いに争わせた。モルドールにハムールが戻った後も内紛は続き、3400年にはハムールの腹心であるモーナルラン(Mônarlan)によって三つの部族が影の支配下に入った。
- チェイ・サルト(Chey Sart)
- ハンドからエレド・ハルマル(Ered Harmal)を越えた東側にあるチェイ人の国。タラスラントの二つの支流に挟まれた平野で、国土の中央にウルク・チェイ・サルト(Ulk Chey Sart)と呼ばれる火山がある。この火山は聖地とされ、チェイ人の信仰の対象となっている。炎の王(Fire King)レンの時代に領土を拡大し、ハラド北東からパリソールに跨がる大帝国を築いた。
- ロカス・ドラス(Lôchas Drûs)
- 第二紀の初頭、ドラル家の当主ウォーマ・ドラル(Wôma Drâl)に率いられ、中つ国の南東部にある岩礁の国に進出したウォマウの入植者たちが建てた国。北の帝国ウォマワス・ドラスと並ぶ南の大帝国として栄えたが、ウォールやカ・イシュ(Ka' ish)等の先住民と軋轢があり、しばしば争いが起こった。第三紀の初めにオエルヴィク・ドラル(Ôervîk Drâl)が自害に追い込まれ、ドラル家が支配権を喪失。その後1200年近く分裂の時代が続いたが、第三紀1148年、オエルヴィクの子孫デミーク・ドラル(Demîk Drâl)が帝国を再統一し、1794年に再び分裂するまで続いた。
コメント†
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