サガス

概要

カテゴリー種族
スペルSagath
その他の呼び名タラソス(Tarathoth)、平原の主(Plains Host)

解説

ICEの設定に登場する東夷の一派。ダゴルラドの戦いに参加した者たちの生き残りの子孫で、東夷と呼ばれる氏族の中では最も西方に住んでいる。

平原の主

闇の森エルフからは「平原の主」を意味するタラソス(Tarathoth)と呼ばれている。闇の森の南東のタラス・ハルロク(Tarath Harroch)の南東に二部族が住んでおり、この土地はサガサヴルド(Sagathavuld)と呼ばれる。また、くろがね連山の近くにも一部族が住んでいる。
リョヴァニオンリューンの国境に沿った細長い土地に住む氏族で、第三紀の初頭から北国人の領地に侵入を繰り返して覇権を争った。

主に、街道を往来する隊商や他の氏族を襲って略奪することで暮らしている。リューンで最も行動範囲が広い文化で、領地という概念を持たないため、土地そのものには殆ど何の価値も置かない。馬車に乗せられるものだけを財貨と考えている反面、彼らの信奉する女神は大地と地下の黒き主ドヌ(Donu)と呼ばれ、その正体は女性の姿をとって現れたサウロンであった。
かつては女系社会だったが、馬車族の連合に参加したのを機に一夫多妻制をとって以降、男性優位の社会となり、女性には名前以外の地位は無く、一族の行移動先や目的も知らされなくなった。

部族間では絶えず抗争が続いており、頻繁に滅ぼされ、時には内部から崩壊することもある。そのため、彼らがリューンの他の民を支配するほど強大になることはなかった。一部の例外として、ケルドゥイン(早瀬川)沿いの町イラニン(Ilanin)を治めるフズ家(Huz Clan、Hosとも言う)は、サガス全体を統率する族長として北国人との戦いを指揮した。

リューンの略奪者

サガスという言葉はウガシグ語(Ulgathig)で単に「襲撃者」を意味する言葉で、東夷の間では、自分の部族と敵対する民や略奪を行う無法者全般に対して用いられる傾向がある。例えば、他の氏族であるロガスウルガスブライガスの特に強力な一族などがサガスと呼ばれる事が多い。
この事はリューンを訪れた者たちを大きく混乱させる原因となった。ヴィドゥガヴィアミナルカールの連合軍がリューンに遠征した際には、「サガスはどこにいるのか」という問いに対して、各々の氏族は彼らと最も深く対立する氏族の土地を答えた。その結果、ゴンドールは誤って多くの異なる民を敵とみなして攻撃し、リューン南部から追い出してしまった。

歴史

サウロンの敗北後、ダゴルラドで最後まで戦い続けた東夷の兵士たちは主君を失い、先に逃げた東夷の同胞の下に戻ることもできなくなった。
彼らはムルガススズレルドールウルガスといった様々な部族の寄せ集めで、エレド・リスイの麓に落ち延び、生きるために他の部族から略奪を行うようになった。やがて彼らは他の部族からサガスという一つの氏族として認識されるようになった。その一部族であるホス家(Hos Clan)は第二紀3455年、ドルイニオンの軍が駐屯していたイラニン(Ilanin)の要塞を奪い、第三紀492年にドヌ川(Donu)沿いの渓谷で戦いに敗れるまで居座った。

500年頃、東方から東夷の別の氏族ウルガスのサハド(Sahd)率いるはぐれ者の一党がサガスの縄張りに侵入してきた。サガスは彼らと戦ったが敗れ、ダゴルラドの古戦場付近まで追いやられた。彼らは豊かな土地を求めてイシリエンに侵入し、ゴンドール人の村々を襲撃するようになった。
これが引き金となり、ゴンドール王タロスタールは498年、軍を率いてダゴルラドに進軍し、サガスを追い払った。この勝利により王は新たにローメンダキル一世を名乗った。

北へ逃亡したサガスは緑森の東に移動した。そこで今度は北国人と衝突し、数十年にわたって争った。
538年、首長アゴノス・カロス(Agonoth Caros)の下で全部族が統一され、北国人の町や村の殆どを略奪しつくした。カロスはかつて対立したサハドの一党と同盟を組み、再びゴンドールに侵攻した。この時の戦いではローメンダキル一世を敗死させた。しかし541年、ローメンダキルの後を継いだトゥランバールに戦いに敗れたカロスが討ち死にし、サガスは東へ遁走した。

1228年、ホス家の新しい当主となったグラチェフ(Grachev)はロガスのイバール家(Ibar Clan)と婚姻同盟を結び、その後援を受けてイラニンを再度占領した。ドルイニオンの頭領は、富の分配と引き換えにロガスを同盟から離脱させ、ホス家は1234年に要塞から退いた。

1250年頃から、平原の神ケルカッスク(Kerkassk)の化身を名乗る人物が東夷の人々の前に現れるようになった。その正体はサウロンの召使の一人であるネモル(Nemol)という魔術師だった。彼はケルカッスクを強欲な西方人から平原の人々を庇護する守護神と騙り、布教を続けた。多くの者がその教えに耳を傾け、アングマールで行われている聖戦に参加するべく、平原の戦士(Plains Warriors)カルグ・フカ(Kharg Huka)の傭兵団に参加し、西方に向かった。
サガスもまた聖戦に参加した。1384年頃にはアルセダインに友好的な北国人による東夷の巡礼者への急襲を防ぐため、魔王はホス家の君主に街道を監視するよう命じた。その見返りとして一族は多大な報酬を受け取る特権を得た。

出典

コメント

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  • サガスはどこにいるのか、探すべきだな -- 2017-10-07 (土) 23:49:43
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