モリアの壁†
概要†
カテゴリー | 地名 |
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スペル | Walls of Moria |
その他の呼び名 | モリアの西壁(west wall of Moria)、西門の壁(wall at Westgate) |
解説†
不気味な湖のむこうに、大きな断崖がいくつもそそり立っていました。そのきびしい壁面はうすれていく日の光の中に、白茶けた顔を見せ、断乎として通行を拒絶していました。フロドにはそのしかめっ面の岩のどこにも、門や入口らしいものはおろか、ひび割れや亀裂のようなものも見いだせませんでした。
「モリアの壁じゃ。」水の先を指してガンダルフがいいました。「そして昔はあそこに入口があった。それはエルフの扉で、わしらが通ってきた柊郷からの道の終わりになる。」*1
モリアの西門がある岩壁。霧ふり山脈の麓の南北に細長い谷間にあり、西のエレギオン(柊郷)からの道が通じている。
一見すると滑らかな石の断崖にしか見えないところに、エレギオンとモリアの交易のために作られたモリアの西門がある。門の前にはエルフによってエレギオンの土地の終わりを示す印として柊が植えられ、門の両側には二本の大きな柊の木が立っていた。
指輪の仲間がここを訪れたとき、モリアの壁がある谷間の底はシランノンが堰き止められてできた湖になっていた。湖の水位にはある程度変動があるらしく、指輪の仲間が訪れたときは運よく水位が下がっていたために、彼らは湖の縁を通って比較的安全に西門の前まで辿り着くことができた(湖の水位が上がると、西側からモリアへ出入りする方途は完全に断たれる)。
湖の中には水中の監視者が潜んでおり、扉を開けた指輪の仲間に襲いかかった。一行が門の中へ退避すると、監視者は扉を力ずくで閉め、柊の大木を引き抜いて門を完全に塞いでしまった。
モリア西門(West-gate of Moria)†
ドゥリンの扉(Doors of Durin)と名付けられた、モリアの西側の出入り口。単に西門(West-gate)や西の入り口(West-door)とも呼ばれ、マザルブルの書では柊郷の門(Hollin gate)とも呼ばれている。ガンダルフはエルフの扉(Elven Doors)とも言及している*2。
門は閉じている時にはただの岩壁にしか見えないが、呪文を唱えることによってイシルディンで描かれた図が現れる。図にはドゥリンの紋章、上のエルフの木、フェアノール王家の星が含まれ、アーチ部に以下の文言がフェアノール文字で書かれていた。
エンニン ドゥリン アラン モリア、ペド メッロン ア ミンノ
イム ナルヴィ ハイン エハント、ケレブリンボール オ エレギオン テイサント イ シウ ヒンEnnyn Durin Aran Moria: pedo mellon a minno.
Im Narvi hain echant: Celebrimbor o Eregion teithant i thiw hin.
モリアの領主、ドゥリンの扉、唱えよ、友、そして入れ。
われ、ナルヴィ、これを作りぬ。柊郷のケレブリンボール、この図を描きぬ。The Doors of Durin, Lord of Moria. Speak, friend, and enter.
I, Narvi, made them. Celebrimbor of Hollin drew these signs.
扉は外開きで、取手も鍵も閂もない。外から扉を開くには合言葉を唱えるしかなく、そうすれば自動で開く*3。ガンダルフ曰く、内側からは両手で押すだけで開き、ドゥリンの時代には門番が配置された上で普段は開けっ放しになっていたという。*4
画像†
備考†
モリアが「モリア」と呼ばれるようになった時期についての推察には幅があるが、少なくともエレギオンが繁栄していた時期には、エレギオンのエルフは「モリア」とは呼んでいなかった可能性が高い(モリア#多数の名について参照)。にもかかわらず、エレギオンが繁栄していた時期に作られたはずであるこの扉に「モリア」と記述されていることについて、矛盾と指摘する声がある。この問題についての答えは“エレギオンの繁栄時にも、モリアと呼ばれていた可能性がなかったわけではない。ドワーフがこの呼び名を嫌っていたという記述はない”、“実際の壁面図、または西境の赤表紙本から「翻訳」されるうちに(『指輪物語』では)「モリア」と書かれていたと表記された”といった推察がある。
ゲーム『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における設定†
コメント†
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