フレーアラーフ

概要

カテゴリー人名
スペルFréaláf*1
異訳フレアラフ、フレアラーフ
その他の呼び名ヒルドの息子フレーアラーフ(Fréaláf Hildeson)*2
種族人間ロヒルリム
性別
生没年第三紀2726~2798年(享年72)
ヒルド(母)
ブリュッタ(息子)

解説

リダーマークの王
第9代
ヘルム
2741~2759
第10代
ヒルドの息子フレーアラーフ
第三紀2759~2798年(39年間)
第11代
ブリュッタ
2798~2842

マーク(ローハン)10代目の王。ヘルムの姉妹ヒルドの息子。
第三紀2758年の大侵略褐色国人ダンレンデイングを率いるウルフが王都エドラスを占領して黄金館でマークの王を僭称し、翌2759年にはヘルム峡谷に籠城していたヘルム王が死んだ。2758年から続いた長い冬が終わると、フレーアラーフはやしろ岡から少数の部隊を率いて出撃し、黄金館を奇襲してウルフを討ち取り、エドラスを奪回した。アイゼンガルドを占拠していた褐色国人も冬による飢饉に苦しめられてフレーアラーフに降伏し、東夷は雪解けで発生したエント川の大洪水によって死ぬか撤退した。ベレゴンドから送られたゴンドールの援軍にも助けられ、2759年の終わりまでにフレーアラーフはマークから褐色国人を駆逐した。
その時、既にヘルムの息子であるハレスハーマは死んでいたため、甥であるフレーアラーフがマークの王位を継いだ(マーク王家の第二家系の始まり)。

2759年のフレーアラーフの戴冠式の時、サルマンが贈り物を携えて現われ、ロヒルリムも彼を味方として歓迎した。同年にサルマンは執政ベレンからアイゼンガルドを与えられ、そこに居を構えた。大侵略長い冬の飢饉によって疲弊していた当時のマークにとって、サルマンの存在は有益なものだった。

コメント

最新の6件を表示しています。 コメントページを参照

  • ロヒアリムの王の第2家系の始まりですね -- 2011-03-01 (火) 19:58:07
  • 良いサルマンの時代。。。 -- 2011-03-02 (水) 07:47:49
  • 「ヒルデの息子」ってあるけど、これは父親がヒルデだったのか、それとも「ヒルドの息子」が正しいのか……? -- 2015-10-30 (金) 04:40:56
    • Hildesonはヒルドの息子(son of Hild)の意味らしい。ちなみに「青年王エオル(Eorl the Young)」みたいに、「ヒルドの息子フレアラフ(Fréaláf Hildeson)」が、追補編の「エオル王家」に載ってる王としての名前。 -- 2015-10-30 (金) 20:32:25
  • サルマン「儂はきれいなサルマン」 -- 2019-01-07 (月) 22:09:15
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