カイル・アンドロス

概要

カテゴリー地名
スペルCair Andros
異訳カイア・アンドロス

解説

シンダリンで「長き水沫みなわの船(ship of long-foam)」の意味。ミナス・ティリスの北東、大河アンドゥインの流れの中にある島。島の形状が大きな船に似て、高い船首のような尖った北側の岩角にアンドゥインが水沫となって砕けることからこの名が付いた。
島の対岸(東のイシリエン側)にコルマッレンの野がある。

オスギリアスと同様にアンドゥインの渡河点であり、戦略上の要衝としてゴンドールの駐屯部隊が置かれていた。

指輪戦争でのカイル・アンドロス

第三紀3019年3月10日に、カイル・アンドロスは黒門から出撃したオーク東夷の大軍によって奪われた。彼らはそのままアノーリエンへ侵入し、ローハン軍を遮断すべくドルーアダンの森周辺の西街道に展開した。そのためローハン軍は森に住むドルーエダインの協力で石車谷を抜けてペレンノール野へ進軍した。
ペレンノール野の合戦の後、アノーリエンにいたオークと東夷の軍勢はペレンノール野へ向かってきたが、西街道でエルフヘルム率いる3000騎のローハン軍主力に迎撃され、カイル・アンドロスへ撤退した。

3月23日に黒門へ向かう西軍が北イシリエンを抜けてモランノンの荒廃地に入った際、アラゴルン二世は戦いに気後れしている者を軍勢から去らせ、代わりにカイル・アンドロスの奪取と死守を命じた。島がいつ西軍によって攻略されたは不明だが、サウロンの没落後に早馬の使者が島からミナス・ティリスに来ている。
その後コルマッレンの野で栄誉礼を執り行うための物資がオスギリアスからアンドゥインを船で遡り、カイル・アンドロスへ運ばれた(メリアドク・ブランディバックはこれに同行したが、エーオウィンは兄エーオメルの求めに応じず、療病院に留まった)。

4月8日に島の対岸のコルマッレンの野で栄誉礼が行われた。その後、一行は5月1日のエレッサール王の戴冠式のために、カイル・アンドロスから船でアンドゥインを下り、さらにオスギリアスからペレンノール野へ凱旋した。

ゲーム『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における設定

『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるカイル・アンドロス(アンドゥイン川上側) 『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるカイル・アンドロス(北側から見た風景で、右手はペレンノール、左手はイシリエン)

コメント

最新の6件を表示しています。 コメントページを参照

  • 映画で見てみたかった場所のひとつ。 -- 2015-11-25 (水) 11:26:43
  • モルドールが怖くて軍勢から去った者達も、ちゃんとこちらで役目を果たしていたんだな。 -- 2017-10-18 (水) 07:23:55
  • 士気が低い軍でよく陥せたものだ。優秀な指揮官がいたんだろうか -- 2021-11-04 (木) 12:00:57
  • 黒門行きを脱落した兵士たちは「魑魅魍魎の跋扈するモルドール」というイメージへの恐怖から脱落してるから士気が低いというのも少し違う気が
    でも黒門行きに同行した主だった将帥は皆黒門まで行ってるはずだし、一体誰が奪還を指揮したのかは気になる -- 2022-07-24 (日) 16:06:28
    • そういえば消耗した戦力の相対的な補充のしにくさという面で言えばペレンノール野の戦いって自由の民の戦略的敗北となりますか?なんか太平洋戦争の航空戦などのイメージが抜けきらない自分がおる。 -- 2022-07-24 (日) 16:40:10
      • 単純に員数と練度の面からみれば決して自由の民の勝利とは言えないと思います
        ただしサウロン側への影響度の面で考えると、決して替えが利ない戦力(アラゴルン、ガンダルフ)は健在で、ミナス・ティリスに守備隊を残してもなお滑稽になりすぎないだけの員数は用意できているので十分に自由の民の戦略的勝利と言えるのではないでしょうか -- 2022-07-24 (日) 18:27:21
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