押井守×最上和子対談がWeb掲載(中編)

【対談】押井守×最上和子『身体×義体の行方』中編 | 日本美学研究所

前回の続き。押井守監督の実姉で、舞踏家の最上和子氏と、押井監督の対談がWeb掲載(いつのまにかVol.1~から、前編・中編・後編という表記に変わっていました)。

押井:生に対する執着があるんですよね。食べるシーンを必ず描くし、同じように逆のことができるかっていうとすごく難しいんですよ。死ぬっていうことを表現するとすごく単調なんですよ。映画っていうのはお約束とか、記号で成立するんだけど、役者の肉体を通してどう死を表現するんだろうっていう。死って簡単に表現できるんだけど、本物の死はあまり見たことない。人間として、そっちに行きづらいんだろうね。見る側も生の表現が好きだし。

三浦:本来「死」は語れないものですよね。

押井:死ぬ気でやるとか、死ぬほどとかいうけどさ、生死をわかたないドラマなんて見たことがないし。基本的には死に向き合う葛藤じゃないですか。それは生の側の表現。実は生と死は同じものだと思うんだけど、生と死しかないからね。この身体をもって、現実をどう生き抜くのか。

三浦:これからの世界をどう生きるのか、どこに向かうのか、AIとか人工知能なども含めて、かなり予言的に監督も描いて来ていると思います。

押井:攻殻をやっていたときって、あれを作っていた時ってね、インターネットなんてなかったし、全然知らなかったし、それを外部に見えるようにするにはケーブルにするしかなかった。人間の視覚をこえた世界は、今でも好きだし、今でもゲームやっているしね。キャラクターが自分に投影されるゲームが大好き。普段とはちがう「身体」と動き回るというのが好き。ゲームやっていてもただ走り回っているだけで楽しいの、でもバーチャルは全然好きじゃない。あれは憑依するものがないから。

後編はこちら

また、5月16日には押井守監督もトークゲストとして来られる上映会についての情報も掲載されています。