エディス・トールキン†
概要†
カテゴリー | 関連人物・組織・団体 |
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スペル | Edith Mary Tolkien |
生没年 | 1889年1月21日~1971年11月29日(享年82) |
解説†
ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンの妻。フルネームはエディス・メアリー・トールキン。旧姓ブラット(Bratt)。
トールキンより3歳の年長。子供にジョン、マイケル、クリストファ、プリシラの三男一女。
小柄でほっそりとした美人で、黒髪に灰色の目の持ち主だった。音楽的才能があり、ピアノの演奏を得意とした。
トールキンとは非常に仲睦まじい夫婦として知られた。一方で両者は嗜好や教養などの点で大きな隔たりがあり、時に激しい夫婦喧嘩に発展することもあったという。
トールキンはエディスとの大恋愛をモデルにして「ベレンとルーシエンの物語」を書き、彼女をルーシエンと強く重ね合わせていた。エディスの死後、トールキンは彼女の墓標に「ルーシエン」と刻んだ(トールキンが同じ墓に葬られた時、彼の側にはベレンと刻まれた)。
生涯†
フランセス・ブラット(Frances Bratt)の私生児として生まれるが、14歳の時に母を亡くして孤児となる。
1908年、同じ下宿の上の階にこしてきたトールキンと出会う。二人はすぐ親密になり、1909年の夏には恋仲となった。だがトールキンの後見人モーガン神父が二人の交際を禁じたことで3年の断交を余儀なくされた。その間エディスはトールキンが自分を想い続けているとは知らず、学友の兄と婚約したが、1913年にトールキンと再会して愛を確かめ合ったことでこの婚約を解消、改めてトールキンと婚約した。それに伴い、トールキンの強い求めに応じて国教会からカトリックに改宗したが、これは両者の少なからぬ遺恨になった。
1916年3月22日にトールキンと結婚。トールキンはすぐに第二次世界大戦に出征したが、負傷して同年のうちに送還され、夫婦は再会を果たした。
夫婦生活の大半をオックスフォードで暮らす。
エディスは学者の妻としては気後れすることが多く、同好の友人にもあまり恵まれず、孤独を感じることが多かったと言われている。トールキンが夜遅くまで仕事をする関係もあって、やがて夫婦の寝室は別々になった。とはいえトールキンが文学的に成功するとエディスは大変に喜び、それを誇りにした。
1917年に長男ジョン、1920年に次男マイケル、1924年に三男クリストファ、1929年に長女プリシラを出産。孤児であったエディスは子供への接し方に悩み、しばしば強権的に接せざるを得なかったという。
晩年にはリウマチと消化不良を患い、1968年に療養のため夫婦でボーンマスに転居した。ボーンマスの環境はエディスの気質によく合い、多くの友人に恵まれ、結婚してから最も幸福な日々を過ごした。
1971年11月29日、胆嚢炎により82歳で死去。
コメント†
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