以下の文章は、2023年12月のコミックマーケットにて頒布された、WWFさんの同人誌「WWF No.66 押井学会20『パトレイバー2』の話をしよう」に私(教官)が寄稿した文章です。内容はあくまで当時(2023年)調べた状況に従っています。
『機動警察パトレイバー the Movie 1/2』4K版劇場公開&UHD BD発売記念としてその内容の一部をこちらに公開します(気が向いたらさらに続きも順次載せますが、現在の状況にあわせて修正したいところ)。
全文を掲載した(そして他の方も色々と書かれている)同人誌はBOOTHにて通販対応しています。『機動警察パトレイバー the Movie 1/2』4K UHD BD/BDリマスター版はAmazonにて予約開始しております。それぞれよろしくお願いいたします。
プラトンは正しかった
「戦争だって? そんなものはとっくに始まっているさ。問題なのはいかにケリをつけるか、それだけだ」
『機動警察パトレイバー2』においてもっとも印象的な、劇中に登場する荒川茂樹のセリフです。ですが私は『パトレイバー2』という映画を高く評価しつつもこのセリフには強い違和感を抱いていました、いや「このセリフは間違っている」と思ったとさえと言ってもいいですし、その考えは今も変わっていません。理由については最後に触れることにします。
『機動警察パトレイバー2 the Movie』が公開されたのが1993年。当然ながら当時と現在で、日本や世界だけでなく自衛隊の状況も大きく変わりましたのでそれを改めて見返すことがこの原稿の趣旨ですが、その前にひとつやるべきことがあると思っています。
MiG-25亡命事件とは
「覚えてますかね? 26年前、日本の防空体制と国防意識を揺さぶったMiG-25の亡命騒ぎ、あれの再来ですよ」
作中で荒川が言っているこのセリフは現実の事件をもとにしたものですが、映画作中の設定が2002年、そこからさらに26年前となると1976年。リアルタイムで映画を見ていた人にも知らなかった人がいたであろう、今となってはなおさら知らない人が多いこの事件を振り返りたいと思います。
1976年9月6日、ソビエト連邦防空軍(ソ連軍には空軍と防空軍というふたつの航空軍組織があった)所属のMiG-25戦闘機のうち1機が演習目的のため離陸後に、進路を変えて低空で日本領空に侵入します。パイロットのベレンコ中尉は、当初自衛隊と民間の共同運用だった千歳空港(千歳基地)を目指しましたが、天候と残燃料の関係により進路を民間の函館空港に変更して着陸を強行しました。自衛隊はこのMiG-25を一旦レーダーで捕らえF-4ファントム戦闘機をスクランブル発進させていましたが、見失っています。そして後から、函館空港に着陸したということを知ることになります。
第一のポイント「自衛隊はMiG-25を追尾できなかった」という点ですが、これは「自衛隊が不抜けていた」とかいう言葉だけでは片付けられない技術的問題がありました。言うまでもなくレーダーとは電波を空中に放ち、対象物により反射し戻ってきた電波をキャッチすることで対象物の存在を知る技術です。
しかし(忘れられがちなことに)地球は丸く、地上に置いてあるレーダーは、丸い地球の地平線より下側の目標を探知することはできません。また当時の戦闘機のレーダーは、ルックダウン能力が低いという問題がありました。ルックダウン能力とは簡単に言うと「自機より下にある物体をレーダーで探知したとき、それが航空機かそれとも地上の地形なのか」判別する能力です。後ろに何もない上空であれば、レーダーで上空の物体を探知すれば間違いなく航空機だとわかりますが、地上に向けてレーダー波を発した場合、レーダー波は航空機によって跳ね返るだけでなく、地上の地形によって乱反射を起こすため、当時の技術では判別・補足が困難でした。もともと空自はこの弱点を認識していたのですがこの事件により「低空で侵入する敵機に対する自衛隊の脆弱性」が誰の目にもあらわとなり、日本は大慌てで「空飛ぶレーダーサイト」とも言えるE-2Cホークアイ早期警戒機をアメリカより購入することになります。
第二のポイントは「函館空港に着陸したMiG-25の扱い」についてです。パイロットのベレンコ中尉はアメリカへの亡命を希望し、先述の通り(たまたま)函館空港に着陸したのですが、千歳ではなく函館空港だったことが日本政府にとって事態をややこしくしました。
MiG-25は当時のソ連の最新鋭戦闘機であり軍事機密の宝庫。ベレンコ中尉の頭にもソ連軍の機密が詰まっています。さらにはMiG-25の機密が西側に漏れるのを防ぐため、ソ連軍がMiG-25を破壊しにくる可能性も考えられました。自衛隊は(ベレンコがそうしたように)低空からの少数の戦闘機による侵入によって行う函館空港爆撃や、少規模の特殊部隊が侵入しての地上からの破壊活動の可能性などを警戒します。ところが函館空港は民間空港であったこともあり、加えてベレンコ中尉が着陸後に注意を引くため空に向かって拳銃を発砲したため「ベレンコ中尉は密入国者、MiG-25は密入国の証拠品・密輸品として扱う」と警察、警察庁などは主張。そのため北海道警察は機動隊を派遣して函館空港を閉鎖し、ベレンコ中尉やMiG-25の調査も警察・検察が行うとして、空港に入ろうとする自衛隊を閉め出すということまで行ったのです。もともと北海道は左派(社会党)が強いという土地柄も影響していたのかもしれません。押井守監督が書いた小説版の『機動警察パトレイバー2 TOKYO WAR』には、荒川がこの亡命事件に触れた後に「陸自の現場指揮官は、腹を切る覚悟で部隊に実弾を配備した」「(自衛隊を空港から締めだしただけでなく)マスコミに至っては(ソ連がMiG-25の機体を破壊しに来るという)その可能性を論じる報道すら殆どない有様だった」という記述があります。この記述がどこまで正確かは私には確認できませんでしたが、日本人の間で大きな認識の差があったのは間違いありません。
ともかく当時の東京においても、警察庁と防衛庁だけではなく、法務省、運輸省、外務省まで加えてすったもんだの主導権争いが行われました。これは、軍事行動に日本の組織、自衛隊がどう対応するかという法律が定まっていなかったという理由もあります(1978年には自衛隊幕僚長が「現行法では自衛隊は侵略行動に対応できず、超法規的活動せざるをえない」と発言して解任されましたが、これを契機に有事法制の見直しが始まりました)。
ソ連政府はMiG-25機体の即時返却を求め、ソ連との関係を悪化させたくない日本勢力がこれに同調しましたが、最終的にアメリカ軍からMiGの専門家集団がやってきて機体を分解し百里基地まで移送した後、国際法で認められている処置として機体を徹底調査。この調査には自衛隊も立ち会いましたが、東側の機体の専門知識がないこともありほとんど見ていることしかできなかったそうです。最終的に調査を終えたMiG-25の機体はソ連に返還され、ベレンコ中尉は本人の希望通りアメリカへと亡命し、引き換えに自分が持つ情報をアメリカ軍に提供しました、もちろんそれらの情報の一部は日本にも提供されたはずですが(ちなみに後述の大韓航空機撃墜事件でも、ベレンコ中尉は意見を求められています)。
これが「平和ボケ」日本を揺るがした「MiG-25の亡命騒ぎ」です。ちなみにベレンコ氏は、アメリカ・イリノイ州にて2023年年9月に歳で死去したと報じられました。
この後、次の章「1993年前後の自衛隊」を掲載する……かもしれません。
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