『BLOOD+』は反米左翼アニメ?

ふとWikipediaBLOOD+の項目を見てみると、「削除提案中」となっていた。一部文章が著作権違反のため削除されたようだが、ノートの部分を見てみると、「『BLOOD+』は反米左翼アニメか否か」ということで議論が起こり、編集合戦が発生したらしい。

『BLOOD+』プロデューサーである竹田菁滋氏が反米思想の持ち主であることは議論の余地がない。以前NewWORDSに掲載されたインタビューでは、

「コザは(中略)ボロボロの商店街にガラの悪そうな黒人の米兵たちが出入りしていて、昼間でも、町は結構すさんだ雰囲気が漂っていました。(中略)恨みを無理に呑みこんでいるというか……米兵を嫌っているんだけど、米軍基地がないと暮らしていけない人々の矛盾が、町全体に沈殿していた。あの歪なエネルギーは『BLOOD+』の舞台に相応しいと思ったんです」
「僕らがどんなにイラク戦争はいけないとか反ブッシュを唱えたって、国内に基地があったり米軍の在留を許している時点で、空爆に参加しているのと同じことなんです」
「そんな中で、いきなり改憲論なんかが噴出してくるのは戦争が見えない、見えていない、見ようとしていないことの証拠だと思います」
「子供たちのためには"非戦"しかあり得ないですよ」
「戦争を経験した世代の政治家が引退して、ろくな議論もないまま、自衛隊はイラクに派遣されてしまった。(中略)これはもう……本当にヤバいことだと思うんですよ」
「たしかに同時多発テロで何千人もの命が失われたのは痛ましいことです。だけど、それが他国を攻撃する論に飛躍するのは、どう考えてもおかしいんですよ」
「第一、一方的にミサイルを撃ち込まれたイラクのがわからしたら、これが戦争だなんて思っていないはず。それこそ、ただの憎むべきテロでしょ」
「小夜の最大の敵は翼手ではありません」
「人間って何? 日本にとってのアメリカって? そういう深い問題を1年間を通して考えていけたらと思っています」
「『プライベート・ライアン』の冒頭の戦闘シーンは物凄いリアリティーで描かれていますが、あれは反戦を訴えてるふりをして巧妙に戦意高揚を歌う映画だから大嫌いです。戦争を美化したり、戦争することの正当性を謳うような物語は僕は絶対に作らない」

などと、「アニメ作品をどう作るか」という話題はほとんどほったらかしにして、ひたすら反米主張をくり返していた。記事のライターが意図的にそういう情報を選別した可能性がないわけではないが、取材しているのがアニメ雑誌の編集部がもとだから、記事掲載前に取材相手へ原稿の確認を行っているはずである。つまりは取材元の許可のもとにこの記事は掲載されたはずだ。

その反米思想が『BLOOD+』という作品に現れているかどうかは見た人の主観によって変わってくるだろう。ただ少なくとも第6話のシナリオなどには、在日米軍や基地協定に対するあからさまな悪意(反感)が込められていたのは間違いない。
「物語に許されるのは観客に問いかけることのみであり、答えを観客に押しつけたり、答えを出すことを観客に強要してはならない」 と考えている私としては、最近は『BLOOD+』にはあまりそういう寓意を感じないが、これは方針が変わったためなのかどうかはわからない。

ところで『BLOOD+』が反米アニメかどうかは別として、私がいつも不思議に思っていることが一つある。「アメリカ政府が黒幕の反米作品」「日本政府が黒幕の反政府作品」という日本製の作品はあちこちで見る。だが、反中国でもどこでもいいが、どうして他の国に対するアンチ作品を見ることはほとんどないのだろう?