『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と『まどか☆マギカ 叛逆の物語』の決定的な相違

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』のBD/DVDの発売が決まったし、日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞も受賞したということで「そろそろいいかな」と思い、私がこの映画を見て思ったことをだらだらと書いてみたいと思います。ネタバレあり。

この記事をわざわざ読みに来るような人は、当然ながら『叛逆の物語』と『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の類似性には気づいていると思います。

  • 現実にはあり得ない状況が発生しているのに、自分達がその状況を自然と受け入れてしまっていることに気がつく
  • 町の外に出ようとしても、いつの間にか出発した町に戻っている
  • これは誰かが願って作り出した世界なのではないか
  • その誰かとは一体誰か

この「誰か」を探していく状況までほとんど同じですし、『まどか』の脚本を担当した虚淵玄氏も、押井守監督とのトークショーで「BDを見てトラウマを受けた」と語っています。

ただ私としては『叛逆の物語』と『BD』では「現実にはあり得ない、誰かが願って作り出した現状」が大きく違うと思いました。それは「映画の中の世界が、誰の希望で作り出されたのか」ということです。

『BD』の中で描かれた“夢の世界”ですが、いくら衣食住が保証されていると行っても、「自分達以外に誰も居ない廃墟での生活は嫌だ、もっと人や社会と接したい」という人はいるでしょう(『うる星』のキャストの誰かがそのようなことをインタビューで言っていたと記憶しています)。夢邪鬼というキャラクターの介在があったからだとしても、ラムが本当にそんな世界を望むのか、不自然に思った人もいるかもしれません。

『BD』はラムではなく押井監督の夢の世界

では“廃墟での生活”は誰の夢かというと、押井守監督本人です。押井監督は“廃墟になった東京での生活”での願望があり、それを『BD』で描いたと語っています。

そこで、なぜ押井監督は“自分の夢の世界”を作ることにしたのかという点ですが、押井監督は『BD』の前作劇場版『うる星やつら オンリー・ユー』(押井監督氏にとっての劇場処女作品)が出来上がったものを自分で見た結果、「各キャラクターに気を配ってサービスしていたら映画にならない、自分の身勝手に作らないと駄目だ」と痛感したと語っています。そこで2作目の『BD』では、「制作時間が足りない」ということを口実に、脚本を書かずにいきなり絵コンテから始めてどんどん制作を進めます。つまりシナリオに対するプロデューサーなどのチェックをすっ飛ばしました。

さらに押井監督は『BD』で、ファンサービスをすることを放棄しました(これは「映画として面白い物を作ることを考えていない」ということではありません)。キャラが多すぎるからというのもありますが、しのぶや竜之介などのキャラクターは『BD』では見せ場がない一方で、序盤だけですが、『うる星』ファンにとってはどうでもいい温泉マークに見せ場があります。そしてヒロインのラムは“神棚に上げられた(押井監督自身による表現)”状態でほとんど動きません。さらに具体的に挙げると、『オンリー・ユー』でラムとあたるがキスしそうになるけど、結局キスしなかったという場面がありましたが、この時ファンから「なぜキスさせなかったんだ!」という抗議の手紙が大量に来たそうです。それでも押井監督は敢えて『BD』でも同じように、「キスしそうでしない」というカットを作っています。その上劇中キャラに「(ラムやあたるに)つきあいきれない」というようなことを言わせていますが、これは押井監督が『うる星』やそのファンと「つきあいきれなくなった」という意味でしょう。事実押井監督は『BD』と同時期に、『うる星』TVシリーズの監督も辞めています。

『叛逆の物語』はほむらではなくファンの夢の世界

一方の『叛逆の物語』に関して言えば、「これでもか」というくらい、“夢の世界”にファンサービスをてんこ盛りにしています。

  • 魔法少女5人が揃って敵と戦うところが見たい
  • みんなが仲良くしているところ、特にさやかと杏子が仲良くしているところが見たい
  • 魔法少女同士のガチバトルが見たい
  • まどかが帰ってくる結末が見たい

つまり、あの世界はほむらのためではなく、ファンのために作られた世界です。純粋にあの世界が「ほむらの願い」だけで作られたなら、マミや杏子の扱いなどはもっとぞんざいになっていたでしょう。個人的には、TVシリーズでひたすら「視聴者の期待を裏切る展開」をやってのけた(ゆえに視聴者に大きなインパクトを与えた)『まどか』が、『叛逆の物語』ではここまでファンサービスに徹したのが非常に意外に思えました。『BD』のように、誰かスタッフひとりの作家性がもっと強く表れていたなら、『叛逆の物語』もこのような話にはならなかった、特にまどかは帰ってこない結末になっていた気がします(まどかが去るというTVシリーズの結末が美しいと個人的に思っているので)。そうしたらどんな映画になったのかは全く想像がつきませんが、とにかく『叛逆の物語』は結果的には「ファンサービスに徹した映画」になりました。

映画としてどちらが正しいかを論じるつもりはありませんが、興行収入的にはファンサービスに徹した方が良かったのでしょう(好きなキャラの見せ場があれば、そのキャラが好きなファンはリピーターになり得ますし)。一見似ているようで、ファンサービスを放棄したか徹したか。そこが『ビューティフル・ドリーマー』と『まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』の最大の違いだと思います。