第二次大戦に於ける原爆投下は必要だったのか?

今年、2010年8月6日に行われた広島平和記念式典に、ルース駐日米大使が、初めてアメリカ政府代表として出席しました。

米国務省、ルース大使の平和記念式典出席を発表 - MSN産経ニュース

これに対しアメリカからは、「原爆投下を謝罪することになる」という非難も出ています。

「無言の謝罪」と大使派遣のオバマ政権を批判 原爆投下機機長の息子 - MSN産経ニュース

ここで紹介されているのは、広島に原爆を投下したB-29“エノラ・ゲイ”の機長であったポール・ティベッツ氏の子息ですが、このような意見を持っているのは彼だけではありません。

原爆投下で、アメリカ人だけでなく日本人も犠牲が少なく済んだ?

アメリカでは、「戦争を始めたのは日本」「原爆投下が戦争終結を早めた」「原爆投下がなければ日本本土上陸作戦をしなければならなかった」という意見が根強いです。そしてもし日本本土上陸作戦が行われたら、連合軍の損害は20万人以上と推定されていました。別の推計ではさらに損害は上がり、50万人以上とも言われています。そのため「日本上陸戦で、自分が死んでいたかもしれない」という退役軍人や「自分の父や祖父が死んで、自分は生まれていなかったかもしれない」という戦後生まれの人々の考えが、原爆投下の正当性主張に大きな影響を与えています。

ダウンフォール作戦(日本本土上陸作戦) – Wikipedia

特にティベッツ元機長の場合、戦後「原爆投下は正当だった」と自分に言い聞かせながら生活してきたことでしょう(そうでなければ「自分は大量殺戮者だ」となってしまい、とてもまともに生きてはいられません)。そのティベッツ元機長の話を聞いて育ち、父の名誉を汚したくないと考えているティベッツ元機長の子息の意見は、氏の立場からすると当然とも言えます。

そして上記の「日本本土上陸作戦が行われた場合の、予測される損害」(軍に於ける損害=戦闘不能となる死傷者数、と考えてください)は、当然「連合軍の損害」であって、日本人の死傷者数は含まれていません。硫黄島や沖縄で、火力に劣りながらも必死に抵抗した日本人のことを考えると、少なくとも日本人の損害は、連合軍の損害の3倍以上になったと推定されます。

つまり、もちろん仮定の話ではありますが「原爆投下で生じた日本人の犠牲者数の方が、本土決戦で失われたであろう犠牲者数よりも少なかったと思われる。つまり原爆投下によって本土決戦が避けられた結果、日本人の犠牲者数も低く抑えられた」という意見もあります。

なぜ日本に原爆が落とされたのか?

なぜ、非戦闘員を大量に殺傷する大量破壊兵器が、日本に対して使用されたのか? 一説には「日本人に対する人種偏見が、原爆投下による大量虐殺を正当化した」という意見もありますが、私はこの説の具体的根拠を見たことはありません。逆に「原爆開発者は元来、ドイツに対する原爆投下のほうに積極的だった」という意見を見たこともあります。

ちなみに原爆投下と同様に、非戦闘員に対する大量虐殺となった東京大空襲なども「日本は、都市部に分散した零細企業によって軍需産業が支えられている」という意見によって行われました。これは当時の爆撃精度が悪く、絨毯爆撃でないと効率が悪かったためというのもあります(ただ戦後、ドイツのドレスデン爆撃などを指揮した英将軍アーサー・ハリスが非難されて叙勲されなかったのに対し、日本爆撃を指揮した米将軍カーチス・ルメイが叙勲されたことを人種差別の根拠にする人もいますが、これは英米の叙勲制度の違いを考える必要もあります)。

また「アメリカは、ソ連に対する核戦力誇示のために、日本に原爆を投下した。そのために日本は犠牲になった」という説もありますが、これも推論であって、根拠があるわけではありません。原爆投下の理由のひとつではあったかもしれませんが、主目的とは言えないでしょう。

非戦闘員が大量にいる都市部に原爆投下することは、当時のアメリカ軍内でも反対意見があり、「原爆の威力を見せるだけならば、富士山のような無人の地に投下するだけで十分」という意見もありました。ですが硫黄島や沖縄などでの日本人の熾烈な抵抗に遭っている現状、「象徴的な行動では日本を降伏させられない」という意見によって、都市への原爆投下が決定しました。

また「原爆は1発ならまだしも、2発も落とす必要はなかった」という意見もあります。ですが2発の原爆が落とされたことにより「3発目も落とされるかもしれない」という恐怖感を生じさせ、終戦を早めたという一面もあります。

原爆が落とされずとも日本は降伏していたか?

「原爆が落とされずとも、日本の降伏は時間の問題であり、本土上陸戦を行う必要もなかった」という意見もあります。ですが広島と長崎の原爆投下後もなお、「神国日本に降伏はあり得ない」「本土決戦を行ったうえで、休戦交渉を有利に導きたい」という日本軍の強行派がいたのは事実です。それが8月14~15日の、玉音放送を奪ってポツダム宣言受諾を防ごうというクーデター騒ぎにつながりました(この事件を描いたノンフィクションを元にした映画が『日本のいちばん長い日』です)。

宮城事件(玉音放送を奪おうとしたクーデター騒ぎ) – Wikipedia

そしてもし終戦が長引いていたらソ連の参戦による影響はさらに大きくなり、北海道など日本北部がソ連に占領され、現在の北朝鮮のようになっていたかもしれません。

結局はことごとく仮定の話であり、原爆投下が必要だったか否か、正当性があったか否かは、人それぞれの解釈や推測に寄ってしまいます。私もここで、原爆投下の正当性を断じるつもりはありません。ただ是にしても非にしても、感情論だけではない様々な意見があることは知っておいてほしいと思います。

若い世代における考えの変化

ちなみに上記では「アメリカ人の多くは原爆投下は正しかったと考えている」ように書きましたが、若い世代では(日本戦で自分の父や祖父が死んでいた可能性をリアルに考えられないためか、あるいはTVなどの影響で非戦闘員の殺戮という点をよりリアルに感じられるためか)、アメリカ人でも「原爆投下は必要なかった」と考える割合が増えているようです。逆に日本人の若い世代で「原爆投下は必要だった」と考える割合が増えているという報道を見たことがあります。

個人的には「核なき世界」「核抑止力」についても思うところは色々とありますが、また別の話ですし、長くなるので今回はここまでにしておきます。