なぜ『009』は押井守ではなく神山健治が監督をすることになったのか

現代とリンクした「009」を作った――『009 RE:CYBORG』神山健治監督に聞く - トレンド - 日経トレンディネット

神山: ただ、その時点で押井さんが作りたい映画は、「神々との戦い編」ですらない、至極個人的なものでした。ゼロゼロナンバーサイボーグたちのほとんどが死んでしまった後、生き延びたフランソワーズ(003)と島村ジョー(009)が世界を歩きまわりながら謎を突き止めていくというような話だったんですよね。

(中略)

神山: 脚本を書き上げた後、押井さんの案と僕の脚本、どちらを映画化するかを制作委員会で話し合いました。結果、僕の脚本を映画化しようということになった。その時点では、監督はまだ決まっていませんでした。僕の脚本を押井さんが監督したいといったら脚本は使ってもらって結構だし、書き換えたかったらそれでもいいと思っていましたし。ただ、押井さんは「やっぱり自分はメンバーのほとんどが死んでしまった設定でやりたい。敵と戦うとかはもうやりたくないんだよ」と。それなら、監督は脚本を書いた僕自身がいいだろうということになったんです。

一方押井氏のメルマガでは、押井氏が(リアルな等身の)3Dキャラをピクセルシェーダーで描くことを嫌った(意味がない、アニメーターの手書きのほうが表現力に勝る)という話が書かれている。