野良犬の塒
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文化庁メディア芸術祭 歴代受賞者シンポジウム『拡張する表現/混沌・越境へ』

さて、2003年3月6日に東京写真美術館で行われた、文化庁メディア芸術祭の「歴代受賞者シンポジウム『拡張する表現/混沌・越境へ』」について。
押井氏以外の参加者はガマニアデジタルエンタテインメント取締役兼開発部長の川村順一氏、デジタルハリウッド株式会社学校長の杉山知之氏、『アナザヘヴン』『ドラゴンヘッド(*1)』などの監督の飯田譲治氏という奇妙な組み合わせ。
勿論押井氏以外も喋ったのだが(しかしやはり一番喋っていたのは押井氏の気がする)、野良犬の塒は押井守サイトなので押井氏の発言のみを取り上げさせていただく。
押井氏の紹介の時に、イノセンスについての簡単な説明があった。
「I.Gは作った映画を売る経験がない。お金をたくさんかけたから回収しないとならないので、映画を売るのが日本一上手い(スタジオジブリプロデューサーの)鈴木敏夫に手伝って貰うことにしました。イノセンスというタイトルもこれで本決まりだろうけど、鈴木が決めました」「本当は今日(デモ用の映像に)20分ほど出来ているラッシュを持ってこようかと思ったんだけど、海外の契約の問題で出来なくて、見飽きた人も多いだろうけどI.Gのプロモーション映像持ってきました、もう3年くらい更新していないので古いですけど。更新しようという話は出ているんだけど、忙しくて誰もやらない(笑)」

飯田譲治氏が映画の原作小説を自分で書いていることについての押井氏のコメント。「脚本書いているだけと原作者とじゃ、プロデューサーとかの扱いが違うんですよね。例えば脚本家とか監督だとソフト一本しかくれないのに、原作者だと10本くらいくれたり。強気に出られるんです。僕はインチキして映画作ってから小説書いているんだけど。映画作ってウミを出して(笑)。本当は熱海で小説書いて暮らしたいんですけど。
僕は元々小説家志望だったんですけど、何でかわかんないけどアニメの監督になっちゃった(笑)。表に出たり旅行したりするのが好きじゃないから。実写の監督というと走り回らないとならないし、朝が早いですし、喧嘩ばかりして人を蹴飛ばして扱うというイメージがあるので(笑)。僕はアニメの監督があっていたんです。あまり人と話さなくて良いし、机に座って仕事が出来るし。
でも実写の楽しみというのもあるんですよね。僕の場合それが戦車を見られることだったり、ヘリを見られることだったり、綺麗な女優に会うことだったり。
映画を作るのは楽しいですよ、楽しいから手を出して後悔するんだけど(笑)。僕は今の映画に三年関わっていて、最初の一年はホンを書きながらお金集めたりしていましたけど。二年やって20分しか出来てないとがっかりしますね(笑)。KILLERSで3日で撮って2日で編集してそれで18分というのとじゃ、ギャップに愕然とします。
三年もやっていると間が持たないから、持たせるために外にちょっかい出して、現場で怒られるんだけど(笑)。短編映画撮ったり、小説書いたり。三年もやってると自分が変わっちゃうから。それをどうやって辻褄を合わせるかというのが難しい。一年くらいでちゃちゃっとしないと駄目だという気がしてきました。

歴代受賞者シンポジウム『拡張する表現/混沌・越境へ』 そして会場からファイナルファンタジーに関する質問があったが、それに関して飯田譲治氏が「140億もある金を素人の監督がノウハウも判らずアメリカに金だけ持っていってる、ゲーム業界で肥大化した資本がアメリカに搾取されに行っている(笑)」
それを受けての押井氏のコメント。「僕は(監督の)坂口さんとある雑誌で対談したことがあるんで喋りずらいんだけど(笑)(*2)、飯田さんが糞味噌に言ったのもよく分かるんですよ(笑)。140億あったら映画何本撮れるかなーと考えてしまうんですが、考えてみれば自分で稼いだ金だから、自分で使ってもいいのではと思ってます。それでKILLERSが○百万円で作ったんだけど……って言っちゃったよ(笑)(*3)。映画で面白いのは、140億かけて作ったのも○百万で作ったのも映画という舞台で勝負できるところですね。それが映画の恐ろしいところで、楽しいところ。
映画というのはその時々でやり方が全然違うんですよね。『何かをやらなきゃいけない』と言われたときに一番困ってしまう。140億あったら140億なりのものを作りなさいと言われても全然出来ないと思います。20分の短編を作れと言われたら色々な可能性を考えられるんですよね」

また、ほしのこえに関する話も出た。「ほしのこえに関しては言いたいことが一杯あるんだけど(笑)。映画というのは一人で作るもんじゃない、いや一人じゃいかんのだ、一人で映画を作っちゃつまんない。一人なら小説を書けばいい。
映画は人と付き合って、違った物を貰わないといけない。ほしのこえというのは、壮大な独り言に見えますね。良くできてるけど、どこかで見た画になってるし、作品自体もどこかで見た作品になってる。出来上がりは悪くないけど、どっかで見たような画でどっかで見たような作品。一人の人間がパソコンの前で作りましたという以外に評価する点が何があるのかとね。でも秀作だからそれで良いんですよ。
それはそれでいいんだけど、問題はそれがDVDになって二万本も三万本も売れてしまったこと。それでアニメスタジオの若いアニメーターとか演出家とかが動揺していること。「もしかして、出遅れたんじゃないか」と思っているんですね。スタジオで怒鳴られたり蹴られたりして(笑)下積みやってシステムの中で我慢しているのに、システムの中にいない人間がぽんと物作って評判になって売れて、出来上がりが悪くないからそれで良いじゃんと。
一人で初めて一人で作ってということは、いつでも止められるとおうことですね。気楽に見えるだろうけど、物を作るというのは基本的にしがらみの中で物を得ていく、そういうところを通じて現実と出会うわけ。そういうところを考えると、一人で作るというのは気楽に見えるけど、実はつらいんだよと。
僕も本当はそうしたいんだけど、人に会いたくないから(笑)。今の映画を2年続けてやっているけど、実際には一日3時間くらいしか関わっていないですよ。じゃあ何をしているのかといえば、椅子に座ってぼーっと(笑)。でもたくさんの人間が昼過ぎには入って夜中まで仕事しているわけですから、何事もなければ監督の出番はない、それが理想の現場なんだけどそうはいかないから。
そういうことを考えると、他人と仕事をするということは、自分の限界を超えたものを得ること、他人のものを盗むんで自分の物にするということです。一人でやったら絶対に自分の限界を超えられませんから。
他人が自分の思い通りにならないというのは、実は映画そのもの、原動力なんだよね。自分の言うことを聞く役者なんていないですよ(笑)。『何故そこでそういう顔するの? こういう顔してくれないの?』って。僕の場合言ってもしょうがないからディジタルで描き直してますけど(笑)。僕にとってはディジタルってそういう物なんです、最初に欲望ありきですね。欲望が枯渇してしまえばディジタルも何もないわけで。だから他人を必要とするんです」

ところで最後には、司会の前澤哲爾氏の「私が見たいんです」という言葉でミニパトが上映された。一体何話かと思ったら第一話! おいおい会場の人間に通じるのか? 「もういいですよ、見ていてもしょうがないでしょう(笑)」という押井氏の言葉で上映途中で止められたが。

原註

  1. 週刊ヤングマガジンに連載された望月峯太郎氏原作のコミック。8月30日映画公開予定。ウズベキスタンでロケーションを敢行した。
  2. キネマ旬報2001年9月下旬号に掲載された対談を参照。
  3. やっぱりヤバそうだから伏せ字にさせていただく。

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