ナンドゥヒリオンの合戦†
概要†
カテゴリー | 歴史・事件 |
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スペル | Battle of Nanduhirion |
その他の呼び名 | アザヌルビザールの合戦(Battle of Azanulbizar) |
解説†
これを想起して、オークたちはいまだに身をおののかせ、ドワーフたちは啜り泣くのである。*1
第三紀2799年に霧ふり山脈のナンドゥヒリオン(おぼろ谷)において行われた、ドワーフとオークの戦争(War of the Dwarves and the Orcs)における最後の戦闘。
この戦いでドワーフは霧ふり山脈のオークに勝利して復讐を果たしたものの、モリアを奪回するには至らなかった。
参戦国、勢力†
ドワーフとオークの戦争†
概要†
第三紀2793年から2799年にかけて全ドワーフと霧ふり山脈のオークとの間で行われた、ドワーフ王スロールの死を発端として起こった戦争。
2790年、スロールはモリアに入り込もうとしてそこを占拠していたオークの首領アゾグに殺され侮辱される。ドゥリンの一族の王に対して加えられたこの仕打ちに全ドワーフは怒り、兵力を集結すると霧ふり山脈中のオークの拠点に片端から攻撃を加え、ひとつひとつ陥落させていった。
グンダバドの緒戦にはじまり、ナンドゥヒリオン(おぼろ谷)の合戦でドワーフの勝利に終わった。
開戦にいたるまで†
第三紀1981年、霧ふり山脈の地下王国モリアのドワーフであるドゥリンの一族は地中深くミスリルを求めすぎたあまりバルログを目覚めさせてしまい、モリアを追われる。かれらはエレボール(はなれ山)や灰色山脈を開拓し移住したものの、いずれも龍の略奪に遭い、2770年のスマウグの襲来でエレボールが失われると、流離の生活を送ることを余儀なくされた。
一方、サウロン(死人占い師)は全ての自由の民の通行を妨げるべく、2480年頃より霧ふり山脈の主要な山道に配下のオークを送り込みはじめていた。オーク達は山中に密かに拠点を築き、廃墟となっていたモリアも占拠される。
2790年、放浪のつらさと財宝への飢えで精神に異常をきたし始めていたドゥリン一族の王スロールは、無謀にも単身モリアへの帰還を図ろうとする(彼が長年所持していた七つの指輪の悪影響によるものとも言われる)。
彼は指輪を息子のスラーイン二世に譲ると、ただ一人従者のナールを引き連れてモリアの東門(大門)があるナンドゥヒリオン(おぼろ谷)に赴き、ナールを待たせて一人で門から中に入って行った。しかし数日後、騒音と共に戸口から死体が投げ出され、ナールが近づいて見ればはたしてスロールの遺体であった。遺体は首を切断されていた上に、額にはドワーフのルーン文字で「アゾグ」の名が刻印されていた。
スロールを殺害したオークの首領であるアゾグは、このことを身内のドワーフに知らせるようにと小銭の入った袋を“駄賃”として投げつけナールを追い払い、その後でスロールの遺体を切り刻んで烏に投げ与える。
スラーイン二世の許に帰り着いたナールは、ことの次第を彼に伝えた。
スラーインは鬚をかきむしりさめざめと泣いた後、ふっつりと黙り込んだ。七日間かれは坐り込んだまま一言も口を利かなかった。それからかれは立ち上がっていった。「こんなことは堪えられん!」これがドワーフとオークの戦いの始まりである。*2
戦闘とナンドゥヒリオンの合戦†
戦いは長く熾烈であった。そしてその大部分は地中の深い場所で戦われた。 … 敵味方ともに情け容赦なく、暗いところたると明るいところたるとを問わず、死闘が繰り返され、残酷な行為が行われた。*3
スラーインが各地に使者を送ると、ドゥリンの世継ぎに加えられたこの侮辱に全ドワーフが激怒し、スラーインの許には全ての氏族からの軍勢が集結した。
三年をかけて全軍の招集が完了すると、怒りに燃えたドワーフの連合軍は第三紀2793年より最北のグンダバドを端緒に霧ふり山脈中のオークの拠点を片っ端から攻撃しては一つずつ奪い取っていった。一方でドワーフの攻撃を逃れたオーク達はモリアのアゾグの許に集結する。
2799年、アゾグの許に集結したオーク軍と、アゾグへの復讐を果たさんとするドワーフの連合軍との間で決戦となるナンドゥヒリオンの合戦が行われた。
アゾグはこの時のために温存しておいた兵力をナンドゥヒリオンの谷へ出撃させてドワーフ軍を迎え撃ち、当初は曇天・地利・数の優勢といったオークにとっての好条件が重なったためにドワーフ側が劣勢であった。スラーインらは鏡の湖に近い大樹の林に追い詰められ、大きな損害を被る(ここでフレリンとフンディンが討ち死し、スラーインとソーリンは負傷した)。
しかしナーインの率いるくろがね連山のドワーフ達が到着したことで戦局は覆った。ナーインはモリアの東門の前でアゾグに挑戦し、姿を現したアゾグに斃されたが、そのアゾグもナーインの息子ダーインに討ち取られ、ドワーフの連合軍が勝利を収めた。アゾグの首は杭にさらされ、その口にはかつて彼がナールに投げつけた小銭袋がつっこまれた。
かくしてドワーフの復讐は果たされたものの、かれらが被った被害もおびただしく、戦死者の数は一人一人その死を悼むこともできないほど多かった。
スラーインはいったんモリアの奪回を宣言したものの、戸口から中を覗き込みドゥリンの禍の恐怖を感じたダーインはスラーインを留め、ドゥリンの一族がふたたびモリアを歩くまでには、世の中が変わり、われわれ以外の別の力が出現しなければならないのです。と予言した。そのためモリアの奪回はなされなかった。
“火葬にされたドワーフ”†
そして今日にいたるまで、ドワーフが先祖の一人のことをいう時、「かれは火葬にされたドワーフである。」と、誇らしげにいうことがある。そしてこれだけいえば充分なのである。*4
ドワーフは、死者を石の墓に葬ることを流儀としていたが、この戦いでは戦死者のあまりの多さのため、諦めざるを得なかった。
そこでかれらは戦死者をまとめて火葬にすることを選び、そのための大量の木が伐られたナンドゥヒリオンの谷は、その後ずっと木が生えない裸のまま残ることになった。この時の火葬の煙は、数十マイルは離れているロスローリエンからも望むことができたという。
死者を火葬にすることはドワーフ本来の流儀に反するものであり、痛ましいことのように思われた。しかしナンドゥヒリオンの戦死者達はいつまでも敬意をもって覚えられ、「火葬にされたドワーフ」といえば彼らを指す言葉となった。
戦後†
戦いが終わり、戦死者の火葬も済むと、集結したドワーフの連合軍はそれぞれの氏族の故郷へと散っていき、ドゥリンの一族も流離の生活へ戻る。
後に王となったスラーインの息子ソーリン二世はこの時の連合軍の雄姿をいつまでも忘れなかったが、ドワーフの氏族が再び連合軍を持つことはなかった。
この戦いで霧ふり山脈のオークは掃討されたかに見えたが、少数は生き残って後に再び数を増やし、五軍の合戦や指輪戦争に禍根を残すことになる(『ホビットの冒険』『指輪物語』)。
アゾグの息子ボルグは142年後の五軍の合戦において、ソーリンやダーインらを敵として戦った。
この大戦争の噂は遠くゴンドールにまで届いていたという。さらにナンドゥヒリオンを逃れたオークの一部が白の山脈に渡り、そこに居を定めようとしたことがあった。そのため執政ベレゴンドの代(2763~2811)のゴンドールや、ブリュッタ・ワルダ・フォルカの代(2798~2864)のローハンは、白の山脈の谷間地方で何年もの間戦いを行わなければならなかった。
ナンドゥヒリオンの合戦に参加したことが判明しているドワーフの一覧†
映画『ホビット』における設定†
回想シーンに登場。スマウグによってエレボールを追われたドワーフ達がモリアの復興に行こうとしたところ、モリアを占拠していたオークとの戦いになったことになっている。この戦いでアゾグはスロールを殺すが、その後ソーリンに左腕を切り落とされて逃げ去った、戦いはかろうじてドワーフたちの勝利に終わったものの、損害が多すぎたためモリアの復興もあきらめられた、と大幅に設定が変更されている。
ゲーム『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における設定†
ドワーフとオークの戦争はGreat Orc War(オーク大戦)、アザルヌビザール(ナンドゥヒリオン)の合戦はthe Sixth War of the Dwarves and Orcs(第六次ドワーフ・オーク戦争)とも呼ばれている。
戦争中(第三紀2799年)のアザルヌビザールのマップが再現され、プレイヤーが追体験可能となっている。
コメント†
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