* カスタミア
** 概要
#author("2023-11-14T23:51:10+09:00;2023-10-12T22:00:08+09:00","","")
* カスタミル [#feb15876]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|人名|
|~スペル|(未入力です。協力をお願いします)|
|~その他の呼び名|(未入力です。協力をお願いします)|
|~種族|(未入力です。協力をお願いします)|
|~性別|(未入力です。協力をお願いします)|
|~生没年|(未入力です。協力をお願いします)|
|~親|(未入力です。協力をお願いします)|
|~兄弟|(未入力です。協力をお願いします)|
|~配偶者|(未入力です。協力をお願いします)|
|~子|(未入力です。協力をお願いします)|
|~カテゴリー|[[人名]]|
|~スペル|Castamir|
|~異訳|カスタミア|
|~その他の呼び名|&ruby(さん){簒};&ruby(だつ){奪};者カスタミル(Castamir the Usurper)|
|~種族|[[人間]]([[ドゥーネダイン]])|
|~性別|男|
|~生没年|[[第三紀]](1259)~†1447年(享年188)|
|~親|不明(祖父は[[カリメヘタール>カリメヘタール(カルマキルの息子)]])|
|~子|不明(曾孫に[[アンガマイテ]]と[[サンガヒャンド]])|

** 解説
** 解説 [#Explanation]

Castamir the Usurper。簒奪者[[カスタミア]]と呼ばれる。[[カリメフタール>カリメフタール(カルマキルの息子)]]の孫。
[[ゴンドール]]海軍の総指揮者だったが、[[北国人]]を母に持つ[[エルダカール>エルダカール(ヴァラカールの息子)]]が王位を継ぐと[[オスギリアス]]を包囲攻撃して[[ゴンドール]]の王位を簒奪する(22代目の王)。残虐な男で、その時捕らえた[[エルダカール>エルダカール(ヴァラカールの息子)]]の息子[[オルネンディル]]を処刑し、他にも多くの殺戮を行い、国よりも艦隊のことに興味を持って王都を[[ペラルギア]]に移そうとしていた。
そのため他の[[ドゥーネダイン]]の反発を買い、彼らを[[ロヴァニオン]]に亡命した[[エルダカール>エルダカール(ヴァラカールの息子)]]の元に馳せ参じさせる結果となる。
そして王位を奪って10年後に[[エルダカール>エルダカール(ヴァラカールの息子)]]に攻め込まれ、[[レベンニン]]の[[エルイ]]の橋の合戦で[[エルダカール>エルダカール(ヴァラカールの息子)]]に討ち取られた。しかし息子達は[[ウンバール]]に逃げ込み、以後[[ゴンドール]]と対立を続けた。[[カスタミア]]の曾孫[[アンガマイテ]]と[[サンガヒャンド]]の率いる[[海賊]]は[[ミナルディル]]を殺害することになるが、[[テルメフタール]]・[[ウンバールダキル]]が[[ウンバール]]を奪取した時に[[カスタミア]]の子孫は死に絶えた。
(1259)-†1447、享年188。位1437-1447、在位10年間。
|>|>|~[[ゴンドール]]の王|h
|CENTER:第21代&br;[[エルダカール>エルダカール(ヴァラカールの息子)]]&br;1432~1437|CENTER:第22代&br;簒奪者''カスタミル''&br;[[第三紀]]1437~1447年(10年間)|CENTER:第21代(復位)&br;[[エルダカール>エルダカール(ヴァラカールの息子)]]&br;1447~1490|

** コメント
[[ゴンドール]]19代目の王[[ローメンダキル二世]]の弟である[[カリメヘタール>カリメヘタール(カルマキルの息子)]]の孫。ゴンドールの[[同族の争い]]における反[[エルダカール>エルダカール(ヴァラカールの息子)]]派の指導者で、ゴンドールの王位争奪者となった人物。

#comment
20代目の王[[ヴァラカール]]の死去の時点で、ヴァラカールの実子を除いて王位に最も近い人物であり、ゴンドール海軍の総指揮官として沿岸地方と[[ペラルギル]]および[[ウンバール]]に多数の支持者を擁していた。そのため[[北国人]]を母に持つ[[エルダカール>エルダカール(ヴァラカールの息子)]]が1432年にゴンドールの王位を継ぐと、これに反発する勢力の最有力者となり、1437年に[[オスギリアス]]を包囲攻撃してエルダカールを放逐、王位を簒奪した(22代目の王)。
だがそれに前後して残虐な本性をあらわにし、捕らえたエルダカールの息子[[オルネンディル]]を処刑したことをはじめオスギリアスで不必要な殺戮と破壊を行う。さらに陸の国土よりも艦隊のことに興味を持っていたようで、王都をオスギリアスから[[ペラルギル]]に移そうとした。
こうした行状から内陸部の[[ドゥーネダイン]]の支持を失い、[[リョヴァニオン]]に亡命したエルダカールが蜂起すると多数の民がエルダカールの許に馳せ参じる結果となる。王位簒奪から10年後の1447年、[[レベンニン]]の[[エルイの渡し]]で行われた大合戦において、カスタミルはエルダカールによって討ち取られた([[同族の争い]])。

しかしカスタミルの息子達は海軍力を掌握していたために[[ペラルギル]]で持ちこたえ、やがて叛徒を糾合すると[[ウンバール]]に逃げ込んで王権に対抗する勢力を打ち立てた。以後ウンバールは[[ゴンドール]]に敵対する勢力の拠点となり、長らくゴンドールの沿岸を悩ました。
1634年にはカスタミルの曾孫[[アンガマイテ]]と[[サンガヒャンド]]が、ゴンドール25代目の王[[ミナルディル]]を殺害した。だが1810年にゴンドール27代目の王[[テルメヘタール]]が[[ウンバール]]を奪取した時に、カスタミルの子孫は死に絶えた。

** コメント [#Comment]

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