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* ホビット庄 [#e62035d5]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[地名]]|
|~スペル|(the) Shire|
|~異訳|シャイア、ホビットの里|
|~その他の呼び名|スーザ(Sûza)、小さい人の国(the land of the Halflings)|

** 解説 [#Explanation]
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#amazon(B009RATOO2)
[[エリアドール]]の西の辺境にある、[[ホビット]]たちが住まい、自治を行っていた地域の名(邦訳では混同されやすいが、[[ホビット村(Hobbiton)>ホビット村]]は、ホビット庄(Shire)の中にある集落の一つ)。首府は[[大堀町]]。
[[ビルボ・バギンズ]]や[[フロド・バギンズ]]の自宅である[[袋小路屋敷]]は、ホビット庄内にある[[ホビット村]]そばの[[お山]]にある。

*** ホビット庄の地理 [#j95e0930]

[[エリアドール]]の、[[ブランディワイン]]川の西(ただしブランディワイン川の東側の[[バック郷]]を含む)から、[[向が丘連丘]]の東までの40[[リーグ]](約193km。[[第四紀]]には、これに[[塔山丘陵]]の東側の[[西境]]も加えられた)、北の荒地から南の沢地までの50[[リーグ]](約241km)に及ぶ地域。ホビット庄は東西南北の[[四が一の庄]]に分けられる。四が一の庄の中心にあたる場所には、[[境石]]が置かれている。
ホビット庄の中央を[[東街道]]が横切っているため、[[青の山脈]]と[[はなれ山]]、[[灰色山脈]]などの間を旅する[[ドワーフ]]たちや、時には[[灰色港]]へ向かう[[エルフ]]たちの姿が見られることもあった。
肥沃な土地であり、古くは[[北方王国]]の王領たる農地と森が存在した。気候は、秋の頃の9月に野宿が可能であり、また北四が一の庄の高原地方を除いて大雪がめったにないといった描写から、温暖かつ冷涼であることが伺える。

*** ホビット庄の歴史 [#e327c907]

[[第三紀]]1601年、[[アルセダイン]]の王[[アルゲレブ二世]]によって、人口が希薄となっていたこの土地がホビット達に与えられた。[[マルコ]]と[[ブランコ]]の兄弟に率いられた大勢のホビットが[[ブリー郷]]より入植し、彼らはここをホビット庄と命名した。ホビット庄で用いられる[[ホビット庄暦]]ではこの年を紀元とする。
名目上ホビット庄の民はアルセダイン王の臣下であったが、彼らに要求されたことは王の主権を認めることと、橋や道路の補修を行って王の使者の移動路を保全することだけであり、ホビット達は自らの族長たちの下、完全な自治を行っていた。
ホビット庄の民は第三紀1974年(庄暦374年)の[[アルセダイン]]と[[アングマール]]の最後の戦いの際、アルセダイン王([[アルヴェドゥイ]])への加勢のため、弓兵を[[フォルンオスト]]の合戦場に送り出したと主張している(このことは[[人間]]の記録には残っていない)。この戦いで北方王国は滅び、弓兵たちは誰一人帰ってこなかった。また、翌年のアングマールが倒されたフォルンオストの合戦に赴いた者もいたという。
北方王国の滅亡後、ホビット庄の民は族長たちの中から王権の代行者である[[セイン]]を選出して自治を続けた(後にセインは[[トゥック家]]に世襲されるようになる)。第三紀2747年(庄暦1147年)には、[[ゴルフィンブール]]の率いる[[オーク]]が[[北四が一の庄>四が一の庄#North]]に侵入したが、[[バンドブラス・トゥック]]がホビット達を率いて戦い、これを撃退した([[緑野の合戦]])。一方でホビット庄は、特に[[指輪戦争]]が近づいてくる頃には密かに[[野伏]]によって守られていたが、ホビット達はそのことを知らなかった。
名目上ホビット庄民はアルセダイン王の臣民であったが、彼らに要求されたことは王の主権を認めることと、橋や道路の補修を行って王の使者の移動路を保全することだけであり、庄民は自らの族長たちの下、完全な自治を行っていた。
ホビット庄民は第三紀1974年(庄暦374年)の[[アルセダイン]]と[[アングマール]]の最後の戦いの際、アルセダイン王([[アルヴェドゥイ]])への加勢のため、弓兵を[[フォルンオスト]]の合戦場に送り出したと主張している(このことは[[人間]]の記録には残っていない)。この戦いで北方王国は滅び、弓兵たちは誰一人帰ってこなかった。また、翌年のアングマールが倒されたフォルンオストの合戦に赴いた者もいたという。
北方王国の滅亡後、ホビット庄民は族長たちの中から王権の代行者である[[セイン]]を選出して自治を続けた(後にセインは[[トゥック家]]に世襲されるようになる)。第三紀2747年(庄暦1147年)には、[[ゴルフィンブール]]の率いる[[オーク]]が[[北四が一の庄>四が一の庄#North]]に侵入したが、[[バンドブラス・トゥック]]がホビット達を率いて戦い、これを撃退した([[緑野の合戦]])。一方でホビット庄は、特に[[指輪戦争]]が近づいてくる頃には密かに[[野伏]]によって守られていたが、庄民はそのことを知らなかった。

[[第四紀]]にホビット庄は[[エレスサール王>アラゴルン二世]]による再統一された王国に編入されるが、やはり自治を維持する。第四紀6年(庄暦1427年)、エレスサール王が発した勅令によりホビット庄への[[人間]]の立ち入りが禁じられ、王によってホビット庄は[[北方王国]]保護下の自由地(Free Land)とされた。第四紀13年(庄暦1434年)には、王によってホビット庄の[[セイン]]、[[館主]]、[[庄長]]は北方王国の顧問官(Counsellors of the North-kingdom)とされた。

*** 備考 [#yf81f01a]

[[瀬田貞二]]によってShireが「ホビット庄」と訳されたのは、「Shire」の発音と「庄」の発音が似ていることが一因である。日本語で「庄」は荘園などを指し、転じて村里などを意味する。
映画『[[ロード・オブ・ザ・リング]]』では「シャイア」「ホビットの里」あるいはただ単に「里」と訳されている。

Shireとは元来は[[古英語]]で「地域、地区」を意味する言葉から来た。現代でもヨークシャー(York''shire'')やランカシャー(Lanca''shire'')といった接尾語の形で残っている。ホビット庄の緯度や経度は、[[トールキン>ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]の母国である現在のイギリスに相当するように設定されている。
『[[西境の赤表紙本]]』原文では、ホビット庄は[[西方語]]表記ではスーザ(Sûza)であり、それをトールキンがShireに翻訳したという設定になっている。

** ゲーム『[[ロード・オブ・ザ・リングス オンライン]]』における設定 [#LotRO]

&ref(ScreenShot00570.jpg,,10%,『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるホビット庄); &ref(大堀町/Michel Delving.jpg,,10%,『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における大堀町(手前に小足家のウィル庄長がいる)); &ref(lotro_gamemap_shire.jpg,,13%);


** コメント [#Comment]

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