* &ruby(しょうちょう){庄長}; [#a8b03b69]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[役職・組織・団体]]|
|~スペル|Mayor of the Shire|
|~その他の呼び名||
|~スペル|Mayor|
|~その他の呼び名|ホビット庄の庄長(Mayor of the Shire)、大堀町の町長(Mayor of Michel Delving)|

** 解説 [#Explanation]

[[ホビット庄]]における実際的な意味での唯一の公務職である、[[大堀町]]の町長のこと。[[ライズ]]の日に[[白が丘連丘]]で行われる[[自由市]]にて、7年ごとに選挙されて選出される。
庄長としての唯一の職務は[[ホビット庄]]の祝祭日に行われる宴会を主催することだが、この他に''郵便局長''(Postmaster)と''庄察長''(First Shirriff)を兼任した。すなわち、ホビット庄の公共業務(Shire-services)である逓信と警備の責任者でもあった。

[[指輪戦争]]時の庄長は[[小足家のウィル]]。[[水の辺村の合戦]]による指輪戦争の終結後、彼は投獄により衰弱していたため、復職する翌年([[第三紀]]3020年、[[ホビット庄暦]]1420年)の夏至まで[[フロド・バギンズ]]が''助役''(Deputy Mayor)として庄長の任を引き受けた(ただし彼が助役としての権限を行使したのは、[[庄察]]を旧体制に戻すことのみ)。
その後ウィルは庄長を1期務めた後に辞任し、代わって[[サムワイズ・ギャムジー]]がホビット庄暦1427年から1476年まで庄長を七期務めた。ただし1442年にサムワイズが妻[[ローズ>ローズ・コトン]]と娘[[エラノール]]と共にゴンドールを訪れた時は、義理の兄弟の[[トルマン・コトン>トム・コトン(トム・コトンの息子)]]が''庄長代理''(deputy Mayor)を勤めた。

メリアドク・ブランディバックが[[第四紀]]11年([[ホビット庄暦]]1432年)に[[館主]]となった後、[[ペレグリン・トゥック]]が[[セイン]]となった第四紀13年(ホビット庄暦1434年)、[[エレスサール王>アラゴルン二世]]によって、ホビット庄のセイン、庄長、館主は、[[北方王国]]の顧問官(Counsellors of the North-kingdom)とされた。

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