戸田奈津子はこれらの抗議活動については、「そういう事が起こっているのは知っているが、自分はインターネットをやらないので何を言われているかは判らない」と雑誌の取材に対して答えている。「何を言われているか判らない」? プリントアウトされてヘラルドに郵送された、数々の誤訳の箇所まで具体的に指摘したはずの大量の署名はどこへ消えたのだ?
そしてこれからはあくまで私の私的な意見だが。
勿論字幕というのは制限だらけだ。一定時間内に限られた文字だけで意味を伝えなければならないのだから。そのため時には文章を大きく省略したり、意訳したりする必要もある。
だが当然ながら、文字数が大きく使えるならば使うべきであり、観客に読む時間が十分あるならそれだけの文章を載せるべきだ。だが私から見ると、戸田奈津子にはもはやその考えはない。「文字を多く使うことは全て悪」とでも思っているようであり、何もかも省略してしまう。「コーヒーは如何ですか?」でも「コーヒーはあるか?」でも「コーヒーだったっけ?」でも「コーヒーが良いか?」でも、戸田奈津子は全て「コーヒーを?」で片付けてしまうのだ。
そしてとにかく短く短縮することだけを考えて、他のことを考えない。まっとうな字幕翻訳家なら制約された状況の中でも、可能な限り原文に込められた意味や、日本語として翻訳した時の美しさというのを出そうと試みるのが当然だろう。だがもはや戸田奈津子には「短くする」という考えしか見えない。そして「判りやすくする」という余計なお世話まで付いてくる。字幕の制約に取り憑かれた人物。「字幕の幽鬼」だ。
この翻訳問題には必ずついてまわる誤解、「マニアが小うるさく騒いでいるだけ」「字幕の制約を理解せず表面的なことだけを言っている」があるが、この事態はそんなところで行われているのではない。これは映画界全体の問題なのだ、と。戸田奈津子崇拝は断固として阻止されなければならないと 。私は戸田奈津子の人格を攻撃しようという気はない(中にはそういうような事をやろうとして、字幕抗議運動の質を落としてしまっている者もいるが)。そして人間がやる以上絶対に間違いはある。だからせめて、「もっと人(監修者)の話を聞いて謙虚になってくれ」と。そうすれば未然に誤訳は多く防げるし、残ったとしてもそれに大量の非難が集中するようなこともないだろうに。だが日本ヘラルドは、「うるさく騒いでいるマニアを黙らせるためにのみ」行動を行っている……。